8.事業承継をつなぐ~『第一ボタン』を掛ける~

2025/09/30
ある日のこと。
「ちょっと、相談があるんや」と、2代目会長からLINEが届きました。内容は、3代目に経営が移行している中での“心配事”。けれども、どこかまだ会長が主導しているような匂いも感じられました。
 
私は問いかけました。「その件、3代目(現社長)に、直接相談されましたか?」返ってきた答えは、「いや、まだや」。本来、社長は最高執行責任者(COO)として組織を動かす中心人物。会長が、最高経営責任者(CEO)として担うべきは、社長と正面から向き合い、本音で語ることです。
 
40分ほどのやり取りの末、会長はこう言いました。「分かった。社長と話してみるわ」2週間後の経営会議。会長が抱いていた懸念は、正式なアジェンダとして議論され、幹部たちを含めて120分間、真剣な対話がなされました。これが『第一ボタン』でした。
 
会長と社長、過去と未来、立場を超えた対話が、ようやく整ったのです。その後、3代目社長が会長に再提示した新しい方針案は、次期の経営指針として、無事、決議されることになります。
 
ちなみに、3代目社長は、今も「自分が尊敬する経営者のひとりは、父である会長」と語ります。会議での会長の発言は、すべて手帳に書き留めており、すでに3冊目に突入したと聞きました。こんなに誠実で学び続ける“アトツギ”が他にいるでしょうか?
 
でも、実はこうした“家族間の認識のズレ”や“遠慮による沈黙”は、決して珍しいことではありません。番頭は、会長が見ていない“現実”を知り、社長が気づけない“背景”を察する存在。奥さま(女将)もまた、ファミリーの空気や心情の微細な動きを感じ取り、絶妙なタイミングで一言を添えるキーパーソンです。
 
事業承継とは、単に“社長の交代”ではありません。ファミリー、ビジネス、オーナーシップ――スリーサークルすべてに関わる人々の協力があってこそ、未来へと“継ぐ”ことができるのです。
 
『第一ボタン』を、誰が掛けるのか?
 
その問いに、静かに向き合い、最初の一歩を整えるのが、番頭の真の仕事です。それは、対立をおさめることではなく、信頼の糸をつなぎ直すこと。“掛け違えたまま進む”のではなく、“立ち止まって掛け直す”ことの価値を、番頭こそが最も知っているのです。

経営学者・落合康裕の視点

ファミリービジネスの難しい課題に世代間のコミュニケーションがあげられます。私は、コミュニケーションを難しくする要因に「世代間の二重の関係性」をあげています。親子関係は、通常、率直な意見交換ができる関係があります。しかし、仕事上の上司と部下の関係もあることにも留意すべきです。自分は社長の親だから、もしくは社長の子供だからといって、組織の秩序を乱すような立ち居振る舞いは許されません。
 
この世代間の二重の関係性は、組織規模が大きくなるほど複雑化し、当事者間では解決しにくい問題になります。そのような時こそ、親子関係を調整する第三者的な立場の人間や機関(番頭やファミリーオフィスなど)が求められます。親子関係を超えて、ファミリー、ビジネス、オーナシップを客観的に捉え、世代間の二重の関係性を上手に調整することが、健全なファミリービジネスの発展に不可欠となります。

この記事の執筆者

加藤 隆一
加藤 隆一

ロマンライフ専務取締役・番頭

落合 康裕
落合 康裕

静岡県立大学教授